槍ヶ岳に初登頂したのは誰?歴史をひも解くと山岳修行僧『播隆上人』の存在がっ!
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こんにちは、山キャン情報室 管理人の亀太郎です。

登山をやらない人でも一度は聞いたことがある北アルプスの『槍ヶ岳』。

ただ、そんな槍ヶ岳に初登頂した人は誰なのか、意外に知らないもの。

僕も知らなかったので、槍ヶ岳に初登頂したのは誰なのか、歴史をひも解くと山岳修行僧『播隆上人』の存在が見えてきたので、紹介します。


この記事を書いている人
登山歴:2007年~キャンプ歴:1995年~
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九州の大学卒業後、愛知県の自動車会社で車体構造の研究に従事する傍ら、1995年からデスクワークのストレス解消にオートキャンプを始める。

2007年からは、「山頂でテント泊をしたい」との単純な発想から、登山を独学で学び(一時期、山岳会に所属)、今はソロテント泊主体に活動中。

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そんな経験もふまえ、大手メディアでは取り扱っていないノウハウや小ネタ情報を発信しています。





槍ヶ岳に初登頂したのは山岳修行僧『播隆上人(ばんりゅうしょうにん)』

播隆上人
出典:浄土宗 女鳥羽山道樹院 玄向寺WEB

槍ヶ岳に初登頂したのは、江戸後期の山岳修行僧 播隆上人(ばんりゅうしょうにん、1786-1840年)。

江戸時代後半の浄土宗の僧で、生涯のほとんどを一介の苦行僧として過ごしたそうです。

いつ頃?単独?

疑問
出典:いらすとや

 

1826年にも挑戦したがその時は頂上へのルート研究に終始し、2年後の1828年7月20日に初登頂したそう。

三体の仏像(阿弥陀如来・観世音菩薩・文殊菩薩の三尊像)を背負って、現地の鷹匠屋の中田又重郎と共に二人で頂上を踏みしめたそうな。

その時、五色に彩られた虹の環の中に阿弥陀如来の姿が出現したそうですが、ブロッケン現象だったんでしょうね。

初登頂したルートは?

蝶ヶ岳を経由して上高地に入り梓川を遡って槍沢を経由して槍ヶ岳まで登ったそうです。

ルートを作ってみるとこんな↓感じ。

槍ヶ岳を初登頂したルート?
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現在は『山と高原地図』にも載っている一般的なルートですが、当時は山荘や登山道もない『バリエーション』そのものなので、三体の仏像を背負っての登山は筆舌に尽くせないものだったと思います。

播隆作『槍ヶ岳絵図』

ルートは『槍ヶ岳絵図』としても残っていますのでご参考に。

播隆作「槍ヶ岳絵図」
出典:浄土宗 女鳥羽山道樹院 玄向寺WEB

初登頂後、48日間岩窟で一心不乱に念仏を唱える

びっくり
出典:いらすとや

普通の登山者なら登頂したらすぐ下山というのが普通でしょうが、山岳修行僧『播隆上人』は違いました。

登頂した後、48日の間、山頂直下にある岩窟に籠り、晴天時は山頂に登って一心不乱に念仏を唱えるなどしたそうです。

その山頂直下にある岩窟『播隆窟』として、こんな感じで今も保存されています。

播隆窟の写真
出典:ぶらぶらと山旅、海旅、里の旅 HP

食料はどうしたんだろうなんて疑問もわきますが、そんな『播隆上人』って、どんな人だったんでしょう?

次に、その『播隆上人』に関する逸話を調べたので紹介しますね。

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『播隆上人』とはどんな人?

松本駅の駅前広場に銅像あり

播隆上人像
出典:歴史風味 HP

さすが北アルプスのお膝元だけあり、播隆上人への畏敬の念を感じますね。

他に、こんな↓生誕の碑が、富山市大山地域にあるそうですが、現在は廃村となっているようです。

播隆上人生誕の地に立つ石碑
出典:北陸中日新聞  web

笠ヶ岳から望んだ槍ヶ岳が初登頂につながったそう

同じ北アルプスの笠ヶ岳は1500年頃に初登山がされましたが、その後、廃れていまいた。

これを播隆上人は村人と何度か登山を行い、登山道の整備などをして槍ヶ岳初登頂の4年前の1824年に頂上に阿弥陀如来像を安置したそうです。

笠ヶ岳って、頂上から槍ヶ岳がバッチリ見えますよね↓。

笠ヶ岳から槍ヶ岳を望む1
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そこで遠くに見える槍ヶ岳を見て登頂を思い立ち、それから4年後の1828年に槍ヶ岳初登頂に成功したそうです。

やっぱ、すごい偉人ですね~

笠ヶ岳の東面の平坦地は播隆にちなみ、『播隆平』と呼ばれています。

槍ヶ岳に鎖を設置する活動も

槍ヶ岳に掛かっている梯子
出典:登っちゃえば?さんのHP

現在の槍ヶ岳はしっかり梯子が設置されてますが、当時はもちろん何もない。

ここで、播隆上人は思いました。「一人でも多くの登山者に安全に登って欲しい」と。

なので、初登頂後、一人でも多く登山ができるように槍ヶ岳の岩壁に鉄の鎖を懸けるための浄財(資金)集めに奔走したそうです。

当時の鉄は貴重品だったが、信者達から包丁・鎌などを寄進してもらい、鉄鎖は完成。

凶作が続いたため鉄鎖を懸けることを禁止されたが、1840年に大願成就して鉄鎖が懸けられたそうな。

その年の年末に播隆上人は、鎖の懸垂を見届けるかのように55歳で大往生したそうです。

『播隆上人』は小説にも描かれていました

剣岳を舞台にした小説『点の記』でも有名な新田次郎も『播隆上人』をモデルとして、こんな↓小説を書いてます。

小説 槍ヶ岳開山(新田次郎著)
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あらすじ

文化10年、富山の百姓一揆にまきこまれ、過って妻のおはまを刺殺してしまった岩松は、国を捨てて出家。襲うのは、おはまへの未練と煩悩であった。殺し妻の呵責に向かいつつつつ、未踏の岩峰・槍ヶ岳初登攀に成功した修行僧・播隆の生きざまを雄渾に描く、長篇伝記小説。

他にも、播隆上人に関するこんな↓著書もあり。

槍ケ岳開山 播隆
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槍ヶ岳に初登頂した外国人は『ウィリアム・ゴーランド』

 

『播隆上人』が初登頂してから50年後の1878年に『ウィリアム・ゴーランド』が外国人としては初めて初登頂してます。

『ウィリアム・ゴーランド』は『日本アルプス』の命名者で、詳細は「日本アルプス」の命名者は誰なのか?調査すると意外な事実がわかったで書いてます。

まとめ

以上、槍ヶ岳に初登頂した山岳修行僧『播隆上人』について紹介しましたが、いかがでしたか?

笠ヶ岳から槍ヶ岳を見て登頂を思い立つところなんて、やっぱ偉人は違いますよね~

僕も少しでも偉人に近づきたいと思います(笑)。