こんにちは、山キャン情報室 管理人の亀太郎です。
日本の屋根ともいわれている「日本アルプス」。
山を登り始めた人はいつかはこのエリアに入りたいと思い、まるで中毒のように登ってしまう不思議な魅力の山々があるエリアです。
そんな「日本アルプス」ですが、意外に知られていないのが、その命名者。
ここでは、「日本アルプス」の命名者は誰なのか調査すると意外な事実がわかったので、紹介します。
- この記事を書いている人
登山歴:2007年~キャンプ歴:1995年~ - 九州の大学卒業後、愛知県の自動車会社で車体構造の研究に従事する傍ら、1995年からデスクワークのストレス解消にオートキャンプを始める。
2007年からは、「山頂でテント泊をしたい」との単純な発想から、登山を独学で学び(一時期、山岳会に所属)、今はソロテント泊主体に活動中。
そんな経験もふまえ、大手メディアでは取り扱っていないノウハウや小ネタ情報を発信しています。
そもそも「日本アルプス」とは、どこを指す?
日本アルプスとは、本州の中部地方にある3つの山脈の総称。
- 北アルプス(飛驒山脈):富山県・岐阜県・長野県・新潟県の4県にまたがる山脈(最高峰:奥穂高岳)
- 中央アルプス(木曽山脈):長野県に存在する山脈(最高峰:木曽駒ヶ岳)
- 南アルプス(赤石山脈):長野県・山梨県・静岡県の3県にまたがる山脈(最高峰:北岳)
「日本アルプス」の命名者は「ウィリアム・ゴーランド」
「日本アルプス」の命名者はウィリアム・ゴーランド(1842~1922年)というイギリス人技術者でした。
登った立山・槍ヶ岳に感動して「日本アルプス(Japanese Alps)」と命名
ゴーランドが「日本アルプス」と命名した経緯をまとめると、僕の想像も入ってますが、こんな↓感じだったようです。
- 古墳研究の傍ら、立山・槍ヶ岳など飛騨山脈の山々に登る
- そこで見た岩峰や雪渓の多い高山的な景観が、ヨーロッパのアルプスの景観に類似しており、心を打たれる
- 1881年に発刊された『中部および北方日本旅行者案内』に、飛騨山脈の山々をたたえ「”Japanese Alps”と称してしかるべきところであろう」と記した
そんなゴーランドには、別の顔もありました。
ゴーランドは「日本考古学の父」とも呼ばれている
ゴーランドの本職は冶金(やきん)技術だったようですが、古墳研究でも有名な人。
彼は、近畿地方はもとより、南は宮崎県、西は佐賀県、東は福島県まで広範囲に古墳を調査して、調査した横穴式石室は全国で406基にも達しているそうです。
彼の研究は、当時の学問水準を超えて現在でも十分に通用するもので、その研究成果はイギリスに帰国した1897年に発表されています。
そんな業績が称えられて「日本考古学の父」と呼ばれているそうです。
ゴーランドは日本で初めて西洋式登山を行った人
古墳研究の傍ら熱心に行っていたのが、登山。
神戸の六甲山で日本で初めてピッケルとナーゲル※を用いた西洋式登山を行ったそうです。
※ナーゲル:滑り止めとして鋲を打った鋲底靴(当時の日本では、わらじや地下足袋で登山)
わらじを履いて山を登っていた日本人は、その姿にマジ驚いたでしょうね(笑)。
こういった経緯で初めて世の中に出た「日本アルプス」という名前は、ウォルター・ウエストンの著書により紹介され、世界中に広まることになったそうで、次に紹介します。
「日本アルプス」という名前を世界中に広げたのは「ウォルター ウエストン」
著書「日本アルプス・登山と探検」で「日本アルプス」という名前を世界中に広げた
ウォルター・ウエストンはイギリス人宣教師。
明治時代の中ごろに3度来日し、そのたびにアルプスをはじめ日本各地を旅行。
初めてのアルプス登山は1891年で、上高地から槍ヶ岳をめざしたが天候が悪く、途中で引き返すも、翌年に乗鞍岳・槍ヶ岳の登頂に成功。
そのウエストンの書いた著書で「日本アルプス」という名前が世界中に広がったそうです。
こんな↓本です。
なので、ウエストン卿は「日本アルプスの父」と呼ばれ石碑に刻まれる
ウエストン卿は上高地にはなくてはならない偉人で、ウエストン碑があり、夏山シーズンが始まる時期に毎年ウエストン祭が盛大に行われています。
コロナ禍の2021年も参加者を限定して、こんな↓形で行われたようです。
ウエストン碑は、バスターミナルから河童橋を渡り左に曲がって大分歩いたところに、意外にひっそりとあります。
穂高に登る前に是非立ち寄って、一緒に写真を撮ってください。
「日本のアルプス」を北・中央・南と分類したのは「小島鳥水」
北・中央・南と分類したのは、ウエストンの影響を受けた登山家の小島鳥水(1873~1948年)。
自身の著書『日本のアルプス』で、飛騨山脈を「北アルプス」、木曽山脈を「中央アルプス」、赤石山脈を「南アルプス」と呼んだ。ことが始まりのようです
小島鳥水の著とはこんな↓本。
まとめ
以上、「日本アルプス」の命名者は誰なのか調査すると意外な事実がわかったので、紹介しましたが、いかがでしたか?
二人のイギリス人登山家を経由して「日本アルプス」が広まり、最後に日本人の登山家によって「北アルプス」「中央アルプス」「南アルプス」と呼ばれるようになったと思うと、なにか不思議な思いがしますよね。
最後まで読んでいただきありがとうございます。