アイガーの「死の壁」とは?|映画で有名な「トニークルツの遺体回収」以外にも悲劇が!
出典:swiss-ex.com

こんにちは、山キャン情報室 管理人の亀太郎です。

スイスを代表する山、アイガー。

テレビ番組「世界の果てまでイッテQ」のイモトアヤコが2016年に登頂したことでも有名ですよね。

イモト隊は比較的登頂率が高いルートから登ってますが(それでも、すごい!)、映画でも有名なのが「死の壁」と呼ばれている「北壁」

「トニークルツの遺体回収事件」で有名ですが、調べてみるとそれ以外にも悲劇や栄光が!

そこには「悲劇」と「舞台性」がありましたので、紹介します。





アイガーの「死の壁」とは?

三大北壁
出典:Wikipedia

アイガーの北壁は、グランドジョラス北壁・マッターホルン北壁と並び、登頂が困難なヨーロッパ三大北壁の一つ。

アイガー北壁は、またの名を「死の壁」と言われており、登攀(とうはん)が困難で危険な北壁として世界的に有名。

岩壁の高さは1800mメートル、頂上の標高は3970m

登攀困難な理由は、高さ1800mの壁が凶暴な風や嵐を真正面から受けてしまう上、落石のリスクも高いため。

ここで死亡した登山家は2013年7月までで71人。すごいですよね。

初登頂は意外に早く、1858年で世界の山 難易度ランキング|世界の危険な山10座と初登頂した世界の登山家を紹介に紹介しています。

では、三大北壁の中で、なぜアイガーの北壁だけ「死の壁」って呼ばれてるのでしょうか?



アイガーの「死の壁」とは?|「死の壁」と呼ばれるのには「舞台性」が!

アイガー北壁の舞台
出典:phone by Keystone

アイガー北壁の魅力(?)はその「舞台性」にありました。

アイガーの北壁は、マッターホルン北壁のように奥に隠れておらず、真正面にどんとそびえ立っています。

そのため、クライミング中の登山家たちの姿を、麓のグリンデルワルト村から、まるで観客が舞台を見る様に双眼鏡で眺めることが可能

またその『舞台』に上がっている登山家は、登っている最中に電車が通る音や、牧草地にいる牛の鈴音も聞くことができる。

アイガー北壁の中をこんな↓感じで登山鉄道が通っていることも格別のようです。

出典:ワールド航空サービス

ハードな登山とは裏腹にのどかな風景ですよね。

ところが、遭難すると、とんでもない舞台に。。。。

後でも紹介しますが、1957年に起こった「クラウディオ・コルティの悲劇」では、同行者のロンギ隊員の遺体が2年間もザイルに釣り下がったまま。

観光客は麓のグリンデルワルト村から双眼鏡で2年間もその遺体を見学していたそうです。

この事が、アイガーを「死の壁」として有名にしたようです。

その「クラウディオ・コルティの悲劇」の前にも、映画化もされた「トニ・クルツの悲劇」がありますので、まずはそれから紹介します。



アイガーの「死の壁」とは?|①トニークルツの遺体回収(1936年)

悲劇の内容をサクッと紹介すると、

  1. 1936年7月に、ドイツ隊のヒンターシュトイサーとトニー・クルツ、オーストリア隊のライナーとアンゲラーの4人が、同時期に登攀を行い途中で合流。
  2. オーストリア隊が落石でケガしたため4人とも下山を決めますが、途中でルートを見失い、トニー・クルツをのぞく3名は谷底へ落下
  3. 残ったトニー・クルツは1人でザイルで下降しますが、救助隊まであと一歩というところで、ザイルが足りなくなり宙づりのまま「もうダメだ」の一言を残して力尽きたそうです

そこは、救助隊のわずか数メートル上だったそうで、『山岳史上最大の悲劇』と呼ばれています

救助隊の目の前まで生きて下山できていたのに、クルツの無念さが伝わるようですね。

この悲劇は『アイガー北壁』として、2010年に映画化されています。ここに↓2分程度の動画をアップしておきますね。

小説家の新田次郎さんもこの悲劇について書いてますので、よかったらどうぞ。

アイガー北壁・気象遭難【新田次郎著】

次に、もう一つの悲劇、「クラウディオ・コルティの悲劇」について紹介します。




アイガーの「死の壁」とは?|②クラウディオ・コルティの悲劇(1957年)

コルティ救助
出典:photo by Alfred Winller

悲劇の内容をサクッと紹介すると、

  1. クラウディオ・コルティとロンギのイタリア隊が北壁に挑戦。その2日後にもドイツ隊の2名も同じルートを登り始めた。
  2. 2隊ともなかなか前進できず遭難。
  3. 6カ国で構成した救助隊により、クラウディオ・コルティは山頂から320mのザイルを垂らしてもらい救助された(上の写真が救助風景)
  4. しかし、ロンギ隊員はザイルにぶら下がったまま死亡。
  5. 遺体は回収困難と判断され、ザイルにぶらさがったまま放置せざるを得なくなった。
  6. 遺体が回収されたのは、なんと、事故から2年後。

遺体が回収されるまでの2年間は、先ほど紹介したアイガー北壁独特の「舞台性」もあり、観客(野次馬)が押し寄せて双眼鏡で覗くという「悲劇の舞台」に。

コルティー
出典:当時の報道紙

一緒に登ったドイツ隊の2名は分からないままで、「コルティは自分が助かりたいので2人を墜落させた」といった中傷も。

しかし、4年後に遺体が発見され、検証の結果、頂上に到着した後の下山で疲労のため死亡したということが分かり、コルティは「無実」を認められ、名誉を回復したとのことです。

登山家も厳しいですね。

ただ、アイガーの北壁は悲劇ばかりではありません。最後に、日本隊の栄誉も紹介しておきますね。

アイガーの「死の壁」とは?|③日本隊による直登ルートの開拓(1969年)

アイガー直登ルート
出典:Photo by Takio Kato

加藤滝男、今井通子、加藤保男、根岸知、天野博文、久保進、原勇で構成された登山隊が「日本直登ルート」の開拓に成功。

だれも開拓していなかった頂上に対してもっとも直線に近いルート

ベースキャンプを設置して、テントで寝泊りしながらルート工作のために登っては下山し、徐々に高度を上げていくという極地法という登攀法を採用し、注目を集めたそうです。

さすが日本人、すごい!

日本直登ルート
出典:swissinfo.ch



まとめ

以上、アイガー北壁の「死の壁」について、映画で有名な「トニークルツの遺体回収」以外にも悲劇があったことを紹介しましたが、いかがでしたか?

冒険家の登山とは裏腹に、「悲劇」と「舞台性」という要素が絡み合っており、ホント考えさせられました。

最近はボルダリングなどクライミングブームになりつつありますが、皆さんも気をつけて登って下さいね。