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こんにちは、山キャン情報室 管理人の亀太郎です。
スイスを代表する山、アイガー。
テレビ番組「世界の果てまでイッテQ」のイモトアヤコが2016年に登頂したことでも有名。
イモト隊は比較的登頂率が高いルートから登ってますが(それでも、すごい!)、北壁では多くの登山事故が発生しています。
アイガー北壁の登山事故としては「トニークルツの遺体回収事件」で有名ですが、調べてみるとそれ以外にも悲劇や栄光が!
そこには「悲劇」と「舞台性」がありましたので、紹介します。
- この記事を書いている人
登山歴:2007年~キャンプ歴:1995年~ - 九州の大学卒業後、愛知県の自動車会社で車体構造の研究に従事する傍ら、1995年からデスクワークのストレス解消にオートキャンプを始める。
2007年からは、「山頂でテント泊をしたい」との単純な発想から、登山を独学で学び(一時期、山岳会に所属)、今はソロテント泊主体に活動中。
そんな経験もふまえ、大手メディアでは取り扱っていないノウハウや小ネタ情報を発信しています。
アイガーの北壁とは?

アイガーの北壁は、グランドジョラス北壁・マッターホルン北壁と並び、登頂が困難なヨーロッパ三大北壁の一つ。
アイガー北壁は、またの名を「死の壁」と言われており、登攀(とうはん)が困難で危険な北壁として世界的に有名。
岩壁の高さは1800mメートル、頂上の標高は3970m。
登攀困難な理由は、高さ1800mの壁が凶暴な風や嵐を真正面から受けてしまう上、落石のリスクも高いため。
ここで死亡した登山家は2013年7月までで71人。すごいですよね。
初登頂は意外に早く、1858年で世界の山 難易度ランキング|世界の危険な山10座と初登頂した世界の登山家を紹介に紹介しています。
では、三大北壁の中で、なぜアイガー北壁だけ「死の壁」って呼ばれてるのでしょうか?
アイガー北壁の登山事故には「悲劇」を呼ぶ「舞台性」があった
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アイガー北壁の登山事故を有名としたのは、その「舞台性」にありました。
アイガーの北壁は、マッターホルン北壁のように奥に隠れておらず、真正面にどんとそびえ立っています。
そのため、クライミング中の登山家たちの姿を、麓のグリンデルワルト村から、まるで観客が舞台を見る様に双眼鏡で眺めることが可能。
またその『舞台』に上がっている登山家は、登っている最中に電車が通る音や、牧草地にいる牛の鈴音も聞くことができる。
アイガー北壁の中をこんな↓感じで登山鉄道が通っていることも格別のようです。

ハードな登山とは裏腹にのどかな風景ですよね。
ところが、遭難すると、とんでもない舞台に。。。。
後でも紹介しますが、1957年に起こった「クラウディオ・コルティの悲劇」では、同行者のロンギ隊員の遺体が2年間もザイルに宙づりになったまま。
観光客は麓のグリンデルワルト村から双眼鏡で2年間も宙づりになった遺体を見学していたそうです。
この事が、アイガー北壁の登山事故を、「死の壁」として有名にしたようです。
その「クラウディオ・コルティの悲劇」の前にも、映画化もされた「トニ・クルツの悲劇」がありますので、まずはそれから紹介します。
アイガー北壁の登山事故の悲劇|①トニークルツの遺体回収(1936年)
悲劇の内容をサクッと紹介すると、
- 1936年7月に、ドイツ隊のヒンターシュトイサーとトニー・クルツ、オーストリア隊のライナーとアンゲラーの4人が、同時期に登攀を行い途中で合流。
- オーストリア隊が落石でケガしたため4人とも下山を決めますが、途中でルートを見失い、トニー・クルツをのぞく3名は谷底へ落下。
- 残ったトニー・クルツは1人でザイルで下降しますが、救助隊まであと一歩というところで、ザイルが足りなくなり宙吊りのまま「もうダメだ」の一言を残して力尽きたそうです。
そこは、救助隊のわずか数メートル上だったそうで、『山岳史上最大の悲劇』と呼ばれています。
救助隊の目の前まで生きて下山できていたのに、クルツの無念さが伝わるようですね。
この悲劇は『アイガー北壁』として、2010年に映画化されています。ここに↓2分程度の動画をアップしておきますね。
小説家の新田次郎さんもこの悲劇について書いてますので、よかったらどうぞ。
次に、もう一つの悲劇、「クラウディオ・コルティの悲劇」について紹介します。
アイガー北壁の登山事故の悲劇|②クラウディオ・コルティの悲劇(1957年)
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悲劇の内容をサクッと紹介すると、
- クラウディオ・コルティとロンギのイタリア隊が北壁に挑戦。その2日後にもドイツ隊の2名も同じルートを登り始めた。
- 2隊ともなかなか前進できず遭難。
- 6カ国で構成した救助隊により、クラウディオ・コルティは山頂から320mのザイルを垂らしてもらい救助された(上の写真が救助風景)
- しかし、ロンギ隊員はザイルにぶら下がったまま死亡。
- 遺体は回収困難と判断され、ザイルに宙吊りになったまま放置せざるを得なくなった。
- 遺体が回収されたのは、なんと、事故から2年後。
遺体が回収されるまでの2年間は、先ほど紹介したアイガー北壁独特の「舞台性」もあり、観客(野次馬)が押し寄せて双眼鏡で覗くという「悲劇の舞台」に。
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一緒に登ったドイツ隊の2名は分からないままで、「コルティは自分が助かりたいので2人を墜落させた」といった中傷も。
しかし、4年後に遺体が発見され、検証の結果、頂上に到着した後の下山で疲労のため死亡したということが分かり、コルティは「無実」を認められ、名誉を回復したとのことです。
登山家も厳しいですね。
ただ、アイガーの北壁は悲劇ばかりではありません。最後に、日本隊の栄誉も紹介しておきますね。
日本隊の栄誉:日本隊による「日本直登ルート」の開拓(1969年)

加藤滝男、今井通子、加藤保男、根岸知、天野博文、久保進、原勇で構成された登山隊が「日本直登ルート」の開拓に成功。
だれも開拓していなかった頂上に対してもっとも直線に近いルート。
ベースキャンプを設置して、テントで寝泊りしながらルート工作のために登っては下山し、徐々に高度を上げていくという極地法という登攀法を採用し、注目を集めたそうです。
さすが日本人、すごい!
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まとめ
以上、アイガー北壁の登山事故について、映画で有名な「トニークルツの遺体回収」以外にも悲劇があったことを紹介しましたが、いかがでしたか?
冒険家の登山とは裏腹に、「悲劇」と「舞台性」という要素が絡み合っており、ホント考えさせられました。
最近はボルダリングなどクライミングブームになりつつありますが、皆さんも気をつけて登って下さいね。
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