
こんにちは、山キャン情報室 管理人の亀太郎です。
標高が世界第二位のK2。
山好きの人なら、誰でも知っている難関の山ですが、ここでは、「K2 初登頂の真実」として映画にもなった初登頂とその後の歴史を調査したので紹介します。
- この記事を書いている人
登山歴:2007年~キャンプ歴:1995年~ - 九州の大学卒業後、愛知県の自動車会社で車体構造の研究に従事する傍ら、1995年からデスクワークのストレス解消にオートキャンプを始める。
2007年からは、「山頂でテント泊をしたい」との単純な発想から、登山を独学で学び(一時期、山岳会に所属)、今はソロテント泊主体に活動中。
そんな経験もふまえ、大手メディアでは取り扱っていないノウハウや小ネタ情報を発信しています。
「K2 初登頂の真実」として映画にもなった初登頂の歴史
1892年:初挑戦
K2は1892年に登頂への挑戦が始まったと記録されています。
しかし、初登頂は1954年で、半世紀以上もかけて挑戦し続けての成功だったとのこと。
なんと、挑戦され始めてから50年以上も経ってます。
1954年:初登頂はヴァルテル・ボナッティ

初登頂は、 パキスタン側の南東稜ルートから大規模な登山隊でアプローチし、ボナッティ(上の写真)がその栄冠に。
ただ、初登頂に成功したのにボナッティには不幸な歴史が。
ボナッティに初登頂の栄誉を奪われることを阻止しようと隊員から「ボナッティは自分が登頂したいがため酸素を使ってしまい、自分たちは途中から酸素なしで頂上に達した」と嘘の報告をされてしまいました。
その後、記録や写真が詳細に分析され、嘘がわかりボナッティの名誉は回復されたそうです。
2012年:映画「K2 初登頂の真実」で公開
初登頂から50年後に、ボナッティのドラマは映画にもなっていますので、良かったらどうぞ。
あらすじ:
1954年、イタリアのデジオ教授が最強のアルピニスト・チームを集結。
青年ボナッティは、初登頂への強い決意を固め、厳しいトレーニングを積み、最少年ながら遠征隊の一員に選ばれた。。。。
ボナッティに初登頂の偉業を奪われることを危惧したコンパニョーニは、ボナッティと合流する予定地よりも高い位置にキャンプを設け、妨害を企てる。
何も知らず、必死の思いで酸素ボンベを荷揚げしていたボナッティであったが、必死のビバーグを余儀なくされ、・・・K2登頂へ出発するのであった・・・。
K2は初登頂後の歴史もすごい

数多くドラマはあったようですが、その中から少し抜粋すると、
- 日本隊は1977年に重広・中村・高塚らが登頂。
- 2004年時点で、登頂に成功した女性登山家は5人のみ。ただ、その5人のうち3人が下山中に死亡し、残りの2人も他の8000メートル峰で遭難死。
- 2008年に登山隊一行が氷塊の崩落で11人が死亡し、K2史上最大規模の惨事といわれる。
- 2009年に山頂からの滑降に挑戦したが、転倒して死亡。翌年に別の冒険家が挑戦するも登頂中に難所から滑落して死亡。遺体の回収も困難で、両親の希望もあり遺体はその場所に残された。
ホント、「非情の山」ともいわれる伝説級の難易度ですよね。
K2とはどんな山かは、K2の難易度は?|死亡率26.7%の伝説級の難易度の理由を徹底解説に書いてますので、よかったらどうぞ。
まとめ
以上、「K2 初登頂の真実」として映画にもなった初登頂とその後の歴史を紹介しましたが、いかがでしたか?
ボナッティだけではなく、数多くの登山家がK2に命がけで挑戦されており、ビックリです。
読んでいただきありがとうございます。
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