バインターブラックは人類が3回しか登頂していない『人喰い山』と呼ばれる山

こんにちは、山キャン情報室 管理人の亀太郎です。

みなさん、バインターブラックって、人類がまだ3回しか到達できていない『人喰い山』と呼ばれる山って知ってましたか?

エベレストは初登頂から8000回以上も登頂されていますが、それと比べると、どれだけ困難なのか想像がつきますよね。

ここでは、そんなバインターブラックについて調査しましたので、紹介します。


この記事を書いている人
登山歴:2007年~キャンプ歴:1995年~
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九州の大学卒業後、愛知県の自動車会社で車体構造の研究に従事する傍ら、1995年からデスクワークのストレス解消にオートキャンプを始める。

2007年からは、「山頂でテント泊をしたい」との単純な発想から、登山を独学で学び(一時期、山岳会に所属)、今はソロテント泊主体に活動中。

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そんな経験もふまえ、大手メディアでは取り扱っていないノウハウや小ネタ情報を発信しています。





バインターブラックは『人食い山』とも呼ばれる

バインターブラック
出典:www.summitpost.org

バインター・ブラックはパキスタンのカラコラム ラトック岩峰群のとなりにある峻険な岩峰です。

標高は7285m

複雑で険しい花こう岩で出来た岩山で、一般にはあまり知られていませんが、世界有数の登山困難な峰として世界の登山家を魅了している山だそうです。

別名で、人食い山』とも呼ばれていますが、あまりにも厳しい山なのか、バインターブラック山自体の紹介がほとんどなく、写真も調査しましたが、数枚しかありませんでした。

その登頂の歴史は1977年に初登頂、その後24年も登頂者がおらず、2001年に第二登が達成され、2013年に第三登がなされたそうで、これまでにたった3回しか登頂されていません。

登頂の歴史には壮絶なドラマがあり、次に紹介します。

バインターブラック登頂の歴史

初登頂前に日本隊も挑戦(1976年)

1976年に日本の朝霧山岳会隊が挑戦し、バインター・ブラックの6500mまで到達しています。

隊のご親戚の方からの連絡あり、バインター・ブラックに挑戦した年は1974年のようです。登頂3日前の夜中に雪崩に合い、テントごと吹っ飛ばされてしまったそうです(まぁちゃん、コメントありがとうございます)

当時の日本山岳隊は、バインターブラックの隣のラトック峰を集中して踏破していたようで、その歴史は後から紹介します。

人類初登頂(1977年)

ダグ・スコット
出典:Wikipedia

初登頂はイギリスのダグ・スコットとボニントンで、西稜からアタックして初制覇。

ダグ・スコットは下山中に頂上直下で滑落してくるぶしの位置で両足を骨折し、四つん這いと懸垂下降で、8日かけてベースキャンプまで下山

その間、悪天候に見舞われ5日間は嵐、最後の4日間は食料が尽きていた

さらに鎮痛剤なしで数日間救助を待たなければならなかったそうで、「オーガからの脱出」として、当時、センセーショナルに報道されたようです。

ダグ・スコットはその2年前の1975年に、当時最も難しいバリエーションルートと呼ばれたエベレスト南西壁を初登し、世界を「あっ」と言わせた登山家。

文句なしの最強の登山家にしても、そこまで苦しめた山とは、バインターブラック壮絶ですよね。

下の写真はエベレスト頂上直下のダグ・スコット。もぉ、怖すぎです。

エベレストのダグスコット
出典:plaza.rakuten

人類2番目の登頂(2001年)

バインターブラック
出典:wikipedia

1977年のダグ・スコットの初登頂から、24年後の2001年まで誰も登頂者がいない状態に。

2回目に制覇したのは国際舞台にデビューしたばかりのフーバー兄弟の兄トーマス。

ダグ・スコットとは違う南壁からの初の踏破。前年には兄弟で挑んで敗退していたらしいです。

これ以上の、詳細は分かりませんでした。

人類3番目の登頂(2013年)

高田直樹さんの著書
出典:amazon

いろいろと調査しましたが、誰が踏破したか、詳細は分からずじまいでした。

ただ、調査の過程で、登山家の 高田直樹さんのブログにこんな面白いやり取りが。

昔、パキスタンで出会ったイギリスの登山家ドン・モーリスとのやり取りは、今も鮮明に憶えています。

彼は、バインター・ブラックから戻って来たところでした。ポーターのストライキで、取り付けないまま引き返して来たのです。

高田さん:「あんな醜い山に、ぼくは魅力を感じない。どうして君はバインターに登る気になったの?

モーリス:「お前はどうしてラトック峰に登るんだ?」

高田さん:「俺は、あの山が美しいから行く。美しい山だから登りたいと思う」

これを聞いたモーリスが激怒!

美しいもヘチマもない。バインターは傲然と聳えてる。俺に挑戦してる。挑んでいるから、俺は受けて立つんだ

「俺に挑戦している」って、登山家の情熱を感じるやり取りですよね。

登山家 高田直樹さんは当時の日本隊の隊長で、バインターブラックの隣のラトック峰に魅せられていたようで、次に紹介します。

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バインターブラックの隣にあるラトック峰に魅せられた日本隊

ラトック峰には1峰から4峰まである

ラトック峰
出典:Wikipedia

ラトック山群は、パキスタンのカラコルム山脈中央部にある急峻な岩峰群で、バインター・ブラックに代表されるオーガ山群の東側に位置。

ラトック山群には1峰から4峰までと4つの峰があり、それに魅せられた日本人がいた

①ラトック 1峰(7145m、初登頂1979年)

1975年に日本山岳会の6名が登頂を目指したが敗退。

1979年に高田直樹さんが率いる日本隊が、果敢に垂直の壁を突破して初登頂に成功

この年のラトック1峰の登山許可を得たのはイギリス隊だったが、危険すぎるとしてキャンセルしたため、許可は日本隊が得ることとなったという幸運もあったらしい。

②ラトック 2峰(7108m、初登頂1977年)

1975年に高田直樹さんが率いる日本隊が挑戦したが、頂上には届かず敗退。

1977年にイタリア隊が高田隊の反対側のルートをとって初登頂(ラトック峰の初登頂となる)。

③ラトック 3峰(6949m、初登頂1979年)

1979年に、寺西洋司さん率いる日本隊が初登頂

④ラトック 4峰(6456m、初登頂1980年)

1980年に大宮求さん率いる日本隊により初登頂

しかし登頂した2名は下山中にクレバスに転落し、1名は6日目、1名は9日目に救出されたそうです。

ラトック峰もバインターブラックに負けず劣らず過酷な山のようですが、日本人がここまで頑張ってるとは知りませんでした。

まとめ

以上、バインターブラックについて、数少ない資料から調査した内容を紹介しましたが、いかがでしたか?

人類が3回しか登頂しておらず『人喰い山』と呼ばれる意味も理解できたかと。

読んでいただきありがとうございます。